Saturday, August 8, 2009

福原愛ちゃんへのおわび

台北支局 源 一秀

台北市内でチベット解放を訴えるタシ・ツーリン氏(源一秀撮影)






 覚えているだろうか。昨年4月、長野での北京五輪聖火リレーでランナーを務めた卓球の福原愛選手の前に飛び出したチベット人がいたことを。

 男はチベット旗を掲げて「フリー・チベット(チベットに自由を)」と叫び、その場で取り押さえられた。そのシーンは、全世界にテレビで生中継され、本紙はじめ多くの新聞の1面トップ写真となった。

 捕まった後、警察に悪態をついたり、暴れたりしたのであれば、心に残ることもなかっただろう。しかし、あの男はただ泣いていた。その理由が聞いてみたくて、人づてに台北市内に住む男を探り当て面会を求めた。私が日本人記者だと分かると、快諾してくれた。「日本の方々には心からおわびしたいと思っている」からだという。

 男は台湾籍のチベット人、タシ・ツーリン氏(43)。台北でアンティーク商の傍ら、「チベット独立」を目指す「チベット青年議会台湾分会」の主席を務め、チベット問題を語る講演活動も行っている。こちらの質問には言葉を選びながら、慎重に答えてくれた。

 「福原さんがどんな人かも知らなかった」。中国国旗を持った中国人でごった返す歩道。40歳前後の中国人が中国語で放った暴言が「当初は歩道に立ち止まったまま、チベット旗を掲げるつもりだった」計画を吹き飛ばした。「お前、チベット人か。ダライ・ラマは気違いだぜ」。気づいた時にはリレーの隊列に突っ込んでいたという。

 しかし、タシ氏の話を聞いているうちに、単にチベット仏教最高指導者が侮辱されたためにとった行動でないことが分かってきた。

 タシ氏はインド・カシミール生まれ。11人兄弟の9番目。今は亡き父母は、中国チベット自治区で家畜を飼う農民だったが、父が政治犯の汚名を着せられたためインドに亡命した。中国に生まれた上の4人は、父を殴打するように中国共産党に命じられたが拒否したため殺されたという。タシ氏自身は10年前、家計を支えようと家族をインドに残して来台した。「あの瞬間、頭のなかで何かがはじけた」という精神状態は、氏と家族が置かれた境遇に由来する様々な感情が交錯したものだったようだ。

 暴言を吐いた中国人に暴力を振るうことは考えなかったのか。「わたしは仏教徒。暴力は否定する。相手を殴ることなんて考えも及ばなかった」。

 台北の街角に立つタシ氏を見かけたことがある。チベットの民族衣装に身を包み、数人のチベット人と「フリー・チベット」を叫んでいた。「中国にチベット解放を訴える抗議デモは、自由の身である亡命チベット人の責務だ」との信念はゆるがない。

 タシ氏が「日本の方にぜひ言いたい」という言葉をそのまま伝えよう。「デモ活動は合法的にやっていきます。みなさん、特に福原さん。驚いたことでしょう。本当にすみませんでした」。

北京五輪聖火リレー。卓球の福原愛選手(左奥)が聖火ランナーを務めていたとき、沿道から飛び出し取り押さえられるタシ・ツーリン氏。長野市で。2008年4月26日。
(2009年8月7日 読売新聞)

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